牡鹿半島 訪問 その3 仮設住宅を訪ねる

仮設住宅訪問。ドキドキ…
仮設住宅訪問。ドキドキ…

◆仮設住宅を訪ねる

 

遠藤さんのお計らいで、仮設住宅に住んでおられるKさんを訪ねた。

 

「あら~、わざわざ遠くから。どうぞ~。」

 

事前に連絡もなしで伺ったが、私たちを快く迎え入れてくださいました。なんてありがたい。

 

ここは仮設住宅が4,5件隣り合って建っています。

 

テレビで見るのと同じプレハブの家で、玄関、通路に小さなキッチン、風呂トイレ、4.5畳くらいの一間。

 

赤十字社が冷蔵庫などの機器を6点提供してくれたそうです。(冷蔵庫、洗濯機、テレビ、炊飯器、レンジ、湯沸かし器)

 

冷房はあまり使わないとして、暖房はどうなっていたか確認しなかった~!東北でプレハブ小屋なんて、冬は寒いだろうに!自分が寒がりだから、すぐそう思う。

 

おひとりで住まれている小柄なKさん(女性)は60代後半~70代くらいにお見かけしました。部屋にはご家族の写真が何枚かが飾ってある。

 

右が一番右がKさん。ありがとうございました!
右が一番右がKさん。ありがとうございました!

 

◆温かいKさんの心遣い

 

冷蔵庫からソーダの缶を開けて、私たちにふるまってくださいます。

 

飲み物も、離れた店へ誰かの車で買いに行かなきゃ手に入らないのに。オレンジのソーダ、おいしかったです!

 

部屋の片隅に、小さい電子オルガンが置いてある。

 

「かわいいですね。」

 

「これで賛美歌の予習をするの。以前は家に息子の楽器がいろいろ転がってたんだけど、全部流されちゃって。そしたら遠藤さんが「うちにこれがあるよ~」って持ってきてくださったの。」

(息子さんたちは元々、離れた地域で暮らしているそうです)

 

話しはそれるが、私がこのあと北京に引っ越す事を伝えると、

「あら私、14才まで北京に住んでたのよ!」

と、以外な事実が判明。

 

そこから「冬は池が凍って、女学校の体育の授業が池でスケートになったのよ」など、思わず昔の北京の興味深いお話も伺えた。

 

不思議な共通項が、なんだかうれしかったです。

 

さらにゼリーを出してくださって、私の友人も持参した食べ物を出して、みんなで食べた。なんだかすいません。

遠くからわざわざ人が来た、なにかふるまってあげたい、という気持ちをありがたく頂きました。みんなでわいわい話しながら食べるのは楽しかったです。

 

なんだか結局、ほぼ雑談だった気が。(雑談って大事だと思いますが)

 

やっぱり、つらいであろう震災自体のお話は私からは聞けなかった。聞けないよぉ~~。

でも、暮らしぶりを見せて頂いただけで十分ありがたかったです。

 

◆もし自分に起こったら…

 

私たちを見送ってくださるとき、

 

「あなたも海の近くのお住まいよね。もし津波が来たらね、政府はね、ここまではしてくれる、って事です。」

 

と川端さん。

 

そうよね… 自分がもしそうなったら、どうだろうか。川端さんみたいにしっかりと 生きられるだろうか。

 

自分に置き換えてみたら…

 

こわい。 やっぱり、本当にすごいことだ。 ずしーんと、来ました。

 

 

川端さん、本当にありがとうございました。

Kさん宅はこの右手の低い位置だった
Kさん宅はこの右手の低い位置だった

 

◆容赦ない自然の猛威

 

Kさんの仮設住宅を離れて遠藤さんの車中、

 

海沿いの野っぱらの前の道で、

 

「ほら、あそこら辺が川端さんのお宅だったの。家は流されなかったんだけど、被害で壊してしまうしかなくって。

 

壊すとき「見に行く!」って言うから、車で一緒に来てここから見てたんだけど、来て10分くらいしたら ぺしゃ、って壊されてね…」

 

うう、聞いてても辛い。

 

「で、あそこが私の家。」

 

と指差す先には、2階建ての家が。

 

2300メートルくらいしか離れてない! 

 

しかもKさん宅(跡地)より海には近い。ほんのちょっとだけ高い場所。

 

うわ~~~、こんなちょっとの差で、この家は生き延びたんだ!

 

なんと言うか… 運命 とか、自然 とかいうことばが浮かびました。

 

 

牡鹿半島 訪問 その4 へつづく~