津屋崎暮らしを考える会

先週の4月19日、”津屋崎暮らしを考える会”で東北震災ボランティアに参加した体験談をお話させていただく機会をいただきました。

 

30年あまり続く会で、湾の埋め立てに反対されたり、介護保険が出来る前に有料ボランティアで介護をする仕組みを作り活動されたりなど、以前は色々精力的に活動されていたようです。この日みえられた方の最高年齢は96歳!

会長さんは80際代、中心に動く方は60歳代という人生の大先輩の方々のグループ。私に何が話せるだろうとも思ったのですが、自分が体験し感じた事を素でお話させていただきました。石巻市で知り合った被災地の方の震災の話、私が石巻で見た今の状況。現地で活動するボランティアグループの今の動きなど。

 

その話を聞いていただいた後、 幾つか質問をいただきました。 

まず、遠い九州からこの年齢層の方で出来る事。

観光客の減った被災地を旅行の行き先に選んでみる事、情報を集めて直接働きかけるグループを支援したり、現地のプロジェクトを応援する事などが思い浮かびますとお答えしました。 

今後、折々に太陽村で集める事のできる信頼できる情報を整理してお伝えしようと思いました。

 

また”瓦礫、瓦礫”と言うけれどかつては使われていたものだから、もっと他の表現方法はない?という質問もありました。

これは答えが出来ませんでした。

 

この質問について数日考えていたのですが、たまたまネットで見た福島の南相馬市の市長さんのインタビューの中でその答えがみつかりました。

 

『南相馬市では、ガレキを防災林の土台に使うという計画をたてていて、南相馬のガレキだけでは足りないのだそうです。放射能は南相馬の方がずっと高いから、宮城や岩手の分も受け入れたいといってありました。そして、

がれきはかつて命が宿ってところですし、命を引き継ぐことで、防潮堤に利用してそこに植林をすることで命を再生するという考え方が必要ではないのか。』

動画はこちらから

  どの言葉を使うかと言うよりも、考え方自体をこの質問で問うていらっしゃったのかなあと思いました。

 

最後にこの会の会長さんから募金をお預かりしました。募金が生きる所へ送って欲しいとの事でした。 この募金は、東北でリンゴ農家をされていたのですが、津波の被害でリンゴ園が流され、また借地の農地であった為保障が何も受けれず、大分に移住された方を応援するという架け橋プロジェクトへ送ることになりました。

 

会の終了後、場所を変えて一緒にいただいた昼食会の際に『以前は活発な活動を色々していたけれども、今は気にかけあって、労り合う大切な会なんですよ』言われたのがとても印象に残りました。<K>

 


 

 

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コメント: 1
  • #1

    M・T (木曜日, 26 4月 2012 07:23)

    皆様の「暮らしの智慧」を引き継いでいけるような学びの場があってもいいなと思いました。それも、広い意味で、未来につながる支援になると思います。