こんにちわ、記録係Erikoです。
もう、震災から11ケ月経つんですね!
今回、太陽村2回目のイベントを行うわけですが、
原発についての勉強会をしたい、と思うようになった
私の個人体験を書かせて頂こうと思います。
(以前も触れましたが、もう少し具体的に。
ちょっと長いです、スイマセン。)
まずさかのぼって、昔々の大学時代。
表紙の絵がきれいでジャケ買いした「チェルノブイリの少年たち」という本。
チェルノブイリ事故で被ばくした、ウクライナの子供たちとその家族のドキュメンタリーを、
涙にむせびながら一晩で読み終え、
「こ、これはみんな知っておかなきゃいかん!」
と、家族や友人にその本を貸しまくりました。
みんな「泣いたぁ~~」と言っていました。
でもそれも思い出となり…。
それから10年以上経ったニューヨーク留学中。美術大学に入る前の語学学校で…
「堂々とプレゼンをする」がテーマの授業の中で、
クラスメートのポーランド人の女の子が、自身の被ばくを告白しました。
「私は20年前のチェルノブイリ事故で、被ばくしました。
1歳の時でした。
今まで言うと差別されそうで、怖くて言えなかった。
でも、この機会にがんばって言おう、と思いました。
成長するにつれ、癌になる子たちもいて、自分もいつか癌になるんじゃないか、と本当に怖い…。」
その声は震えていました。
本当に衝撃的だった。
むか~し本で読んだ恐ろしい事が、実際に、目の前のこの子に起こっていたなんて…。
今まで はにかみやでパンダメークの今どきの女の子、くらしにしか思ってなかった彼女。
人前での告白、どれだけ勇気がいることだったろう。
それはもう、「堂々とプレゼンをする」のレベルを超えてるっス!
授業の一環だったこともあり、そのことについて自分でもさらに掘り下げて調べました。
放射能漏れ事故があった場合、被ばくした人、特に子供の体内では甲状腺に放射能がたまりやすい。
でも、すぐにヨウ素を摂取していれば、それがかなり防げるのです。
しかし当時ソビエト連邦政府が事故の情報をすぐに出さなかったため、その処置はなされませんでした。
むむぅ、ソ連政府め…
でもその時はまだ、日本でも同じような事が起きようとは、サラっサラ思っていませんでした…。
そして昨年の震災。
福島第一原発の事故のニュースを見たとき、私はすぐに思いました。「あ、ヨウ素配らなきゃでしょ」
2,3日くらいたつと、どこどこの町ではヨウ素の配布を検討、とかそういうニュースが出てきて、「やっぱり…」
土に放射能が染み込んで、もうその近辺ではずっと農業はできないんだろうな…。
何百年も、立ち入り禁止エリアが出来るんだろうな。この日本に…。
私はたまたま、昔 本を読んでいたのと、NYであのポーランドの女の子に会って、チェルノブイリ事故の事を調べた経験があったから、
こうやって次何が起こる、今後こうなる、って予測がついた。
それはまるでデジャブのようで、ちょっと気持ちが悪いくらいでした。
チェルノブイリの事故の事を、もっとみんなが知っていたら、事故後の展開を予想して、より良い対応も可能だったかも知れない、と思いました。
歴史から、学ばんといかん。
多分、ドイツが脱原発を決心できたのも、ヨーロッパという近所の国の事故をヒヤヒヤして見てきたからだと思います。
当時、ロシアやポーランドなど、事故地域の近辺からの農産物は輸入できなくなったし。
あの子は今、福島のニュースをどんな思いで見てるだろう。
「何やってんのよ、私たちの事からちゃんと学びなさいよ!」
って思うよね、きっと。
チェルノブイリの事故から学べる事は多いと思います。今後、どうやって対応していくべきかも含めて。
福島の事も、私たちは世界に、後世に伝えていくのが義務だと思います。
私はこういう個人体験から、今回の原発勉強会をやりたいと思いました。
玄海原発がすぐそこにあるのに、何も知らないなんて、怖すぎる。
(さらに清水先生をお招きするに至った経緯もあるのですが、それはまた今度)
とは言っても、自分は全然人間が出来てないッス。
すぐ日常に流されちゃったり忘れちゃったりします。
こういう機会を設けて、自分の心に「覚えとかんと!」と言っておこうと思います。
そしてみなさんと、勉強会という体験をシェアできたら、と思います。
以上、長々とおつきあいくださり、ありがとうございました。
では、当日ももちパレスでお会いしましょう☆
P.S.あら、かなえ、講師への交渉、会場の手配、フライヤ準備等々(全部やん)、ありがとう☆ つやちゃん、橋渡しありがとう☆
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